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大阪高等裁判所 昭和45年(ネ)1115号 判決 1975年3月19日

控訴人

明石自動車工業株式会社

右代表者清算人

明石秀雄

右訴訟代理人

関田政雄

外二名

被控訴人

神戸いすず自動車株式会社

右代表者

森川正則

右訴訟代理人

元原利文

外二名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

第一本訴について。

一原判決記載の本訴請求原因事実は当事者間に争いがない。

二そこで控訴人の相殺の抗弁について考察する。

(一)(1)  <証拠>によれば、被控訴会社はクライスラー系自動車の輸入並び販売業者であるが、昭和三六年頃メーカーより大阪に強力な代理店を必要とする旨の要請があり、その頃被控訴会社社長の知人より紹介された控訴会社が被控訴会社に対し、被控訴会社の副販売店(或は特約販売店又は総販売店ともいう。)として取引してほしいと申入れしていたこと。被控訴会社は昭和三六年一一月頃より控訴会社を通じ外車を売るようになり、他方では控訴会社の経営内容、販売能力を把握するため控訴会社の事業報告書その他の必要書類の提出を求め控訴会社の取引相手としての適格性を検討してきたこと。昭和三七年初頃クライスラーのメーカーから来た者を、控訴会社工場へ案内し、ここを見てほしい、ここを大阪代理店にしようと思つていると被控訴会社外車部次長高野金作が告げたことがあり、また、同人は昭和三七年四月被控訴会社外車部長に就いた田尾信穂に対し控訴会社の事業能力、信用状態を知る資料を見せ、総販売店契約はまだしていないが、ゆくゆくは結ぶことになると告げ、これを聞いた田尾も控訴会社の販売能力を評価し、これなら売つてもらい将来は総販売店契約をしてもらうつもりでいたこと。以上の各事実が認められる。

(2)  そして証人尾向由行の証言(原審及び当審)及び控訴会社代表者明石秀雄尋問(原審)に於ける同人の陳述中には、昭和三六年一〇月頃から被控訴会社と控訴会社の両者の代表者ら幹部で第一回の下交渉が進められて契約内容の輪廊を得ていたが、第二回目の昭和三七年一月五日の会談で、契約書は被控訴会社代表者の言葉を信頼して作成しなかつたが、控訴会社は被控訴会社の副販売店として神戸を除く近畿一円についてクイラスラー系外車の専売権を持ち、被控訴会社が副販売店をさせている大阪やしまいすずとの契約を解約し、被控訴会社自身も右地域内において控訴会社の専売権を侵すようなことはしないこと、被控訴会社より控訴会社に割当てる販売数は昭和三七年以降年間七〇台を下らないこと、控訴会社は右外車以外の車輛の販売を取扱つてはならないこと等の内容の契約を締結した旨の控訴人の抗弁の一部に符合するものが見られ、更に右証言及び陳述竝右証言により成立の認められる乙第七号証の一、二によると、事実控訴会社に於ては、その代表者明石秀雄の名刺に「クライスラー、プリムス、バリアント、西日本総販売店神戸いすゞ自動車株式会社代行店」明石自動車工業株式会社、或は「クライスラー、プリムス、バリアント関西販売店」明石自動車工業株式会社なる肩書を印刷していたこと、控訴会社の社屋上部に「米国クライスラー関西代理店ニューアカシモータース」というネオンサインを掲げ、販売従業員を増員し陣容の強化を図り、昭和三七年一一月に控訴会社社屋で六三年クライスラー新車の展示会をしたことが認められるが、前記(1)で認定した事実竝に次の(二)で認定する事実に徴するときは、証人尾向由行の証言及び控訴会社代表者本人尋問に於ける陳述の前記部分は措信することができないし、控訴会社が前記のような名刺を作つたことや、社屋にネオンサインを掲げ、新車の展示会を開催したこと、は控訴会社が一方的に被控訴会社との間に控訴人主張のような契約ができたものと早合点したか、或は早晩そのような契約ができるものと考えてしたことと見るの他ない。

(二)  ところで<証拠>によれば、被控訴会社は前記のとおり紹介により知つた控訴会社から副販売店として取引をしてもらいたいとの希望を申出られ、取引相手としての適格性を検討しつゝ、昭和三六年中より若干の外車を控訴会社を通じ販売してきたが、昭和三七年に入つても、副販売店契約を結ぶことをさけ、当分、取次(或は紹介)販売によつて実績を見守る方針をとり、控訴会社が得た顧客に対してその都度外車を控訴会社を通じて売渡し、昭和三七年度には一二台、同三八年度には七台程度の控訴会社による販売成果が見られたが、副販売店とするための契約書を取交すことがなかつたこと。被控訴会社は控訴会社がメーカーに対し直接販売をしたい旨の申入れをしているとのことを聞知し、控訴会社との取引の拡大を望まなくなつてきたこと。当時外車の輸入は外貨割当制度による制約から被控訴会社自身においてすら、昭和三七年四九台、昭和三八年六七台、昭和三九年八二台の外車を輸入し得たにとどまり年間七〇台を他に廻す可能性などなかつたこと。被控訴会社の外車部長となつた(前記のとおり昭和三七年四月)田尾信穂は、控訴会社との間に契約書を作成することもなく右取次販売がなされているので、同年五月契約書の草案を作り六月中頃控訴会社へこれを送つたが、控訴会社はこれに応じられないとの態度を示し、(このことは証人尾向由行の証言、控訴会社代表者明石秀雄の陳述(いずれも原審)によつても認められる。但し明石の陳述ではその契約書は根担保設定の契約書であるというがその点は措信できない。)その契約書草案は田尾のもとえ返され破棄されたこと。昭和三六、七年当時京都には被控訴会社の副販売店である京都セントラル自動車という会社があつたこと。被控訴会社社長森川は昭和三七年一一月頃控訴会社の新車展示会の際控訴会社の社屋の前記ネオンサインの取外しを求めたこと、以上の各事実が認められる。

(三)  このようにみて来ると、控訴人主張の如き専売並びに毎年七〇台を販売する旨の約定が結ばれたと認めることはできない。控訴人はその主張の契約を文書化しなかつたのは被控訴会社社長の言を信頼したからであるとか、外車の輸入が外貨割当制度であつた当時には文書化することはさほど必須なこととは考えられなかつたとか主張するけれども右(二)の認定事実からすれば、さような弁解は到底首肯し得るものではなく、控訴人主張の約定を結ぶとすれば、その契約の重要性にかんがみその契約に関聯して明確ならしめることを要する双方の制約事項並びに取引により生ずべき債務について担保約定を定めることが当然と解され、当時それら約定を定型化した契約書が被控訴会社に用意されていたことが<証拠>により認められるにかかわらず、約定を文書化していない所以は、控訴人主張の如き契約が未だ締結されるに至らなかつたからであると解するほかはない。

その他控訴人は被控訴会社より外車の価格表、準備すべき部品明細書の送付を受けていることを主張するが、被控訴会社代表者森川正則の陳述(原審)によれば、それら書類の送付先は副販売店に限られたものでないことが認められ、証人尾向由行の当審における証言によれば、控訴会社は被控訴会社より引取つた外車の代金決済を通関証明の受領と同時に控訴会社振出の単名手形でしていた旨の陳述が見られ、控訴人は控訴会社が顧客から受取つた手形によらず控訴会社振出の単名手形で被控訴会社との決済をしていることを以つて控訴人主張の契約が成立している証左であると強調するが、右証人の証言によつても控訴会社の単名手形を被控訴会社に渡さず先に自動車を預つてそれを顧客に渡し、顧客から受取る月賦手形を被控訴会社に渡す場合もあつたことが認められるし、被控訴会社代表者森川正則の陳述(原審)によれば、外車を渡すとき控訴会社の手形をもらつておき、顧客の手形が入つたら控訴会社の手形とさしかえていた場合のあつたことも認められ、控訴会社が常に控訴会社振出の単名手形により決済していたものではないことが認められるから、控訴人の右主張は理由がなく、他に控訴人主張の契約成立事実を認めるに足る証拠はない。

(四)  以上によれば、控訴人主張の如き契約の成立した事実は認められないから、控訴人抗弁の契約不履行による逸失利益の損害賠償請求権は認めるに由なく、また、被控訴会社が控訴会社に対し控訴会社の行つた外車展示会に控訴人抗弁の如き援助義務を負つていたと認むべき証拠はなく、従つてその債務不履行による損害賠償義務あることも認められないから、控訴人の相殺の抗弁はすべて採用することができない。

三次に消滅時効の抗弁について考察する。

(一)  本訴の提起が昭和三九年二月一四日で、控訴人が消滅時効の抗弁を主張するに至つたのは昭和四九年一〇月一日付準備書面を陳述した同年一一月一二日の当審第二〇回口頭弁論期日においてであり、当審最終口頭弁論(第二一回)期日の直前であることは本件記録上明らかである。そして主張自体の内容から考えても、昭和四三年一〇月一四日以降は常時主張することを得たものと解され、これを妨げる事情があつたことは窺えない。その限りでは右抗弁の提出は著しく遅きに失するといえる。しかしながらそのことによつて時効を援用する利益を抛棄したものと見ることは当らず、また、本件手形の原因債務が右抗弁の内容の自動車代金債務であることは当事者間に争いのないところであるから、控訴人においてその点につき立証の必要なく、被控訴人において右抗弁に対する主張、立証をなすにしても格別に長期を要し、著るしく負担を課せられることになるとも思われない。従つて控訴人の右抗弁提出が本訴の完結を遅延させるものとはいえないから、控訴人の右抗弁提出を却下するには当らない。

(二)  <証拠>及び弁論の全趣旨によれば、本件手形は控訴会社が被控訴会社から昭和三八年一〇月一四日買受けた六三年型外車プリマスの買受代金二九五万円のうち現金払四五万円の残額金二五〇万円を分割支払のため振出した四通の手形のうちの二通で、右代金の分割払の最終期日は額面金七〇万円の手形の支払期日である昭和三九年三月一日であることが認められる。右売買代金債務は商事債権であることはすでに認定した事実から明らかでありその消滅時効期間は五年であることは敢えて説明するまでもなく、またその期間は右昭和三九年三月一日より起算すべきものであることは明らかであるところ、被控訴人は時効中断を主張するので、これについて考察する。

およそ既存債務の支払のために手形が交付されるときは、原因債務と手形債務とは併存するものと解され、且手形の流通性の要請から手形上の権利はその原因関係上の法律効果の影響を受けない立前となつている。しかしながら、もともと手形は原因債務の支払手段に過ぎないのであるから、被控訴人主張の如く、手形授受の当事者間においては、原因関係の債権者がその支払のために交付を受けた手形によつて原因関係の債務者に対して手形金請求訴訟を提起することは、手形が原因債務の支払手段であることに鑑みれば、債権者としてはその債務の支払を訴求しているのに外ならないのであつて、且債権者のその意思が客観的に表示されたものと解することができ、原因債権の消滅を中断する民法第一四七条第一号の請求に該当するものと、解すべきである。

そうすれば、被控訴人が提起した本訴(昭和三九年二月一四日)によつて右原因債権の消滅時効は中断されたものというべきであるから、控訴人の消滅時効の抗弁は失当である。

以上によれば、被控訴人の本訴請求は正当である。

第二反訴について。

控訴人の反訴請求原因として主張する被控訴人の債務不履行による逸失利益の損害賠償請求権が認められないことは、既に本訴における控訴人の抗弁に対する判断の項で記述したところである。

従つて控訴人の反訴請求は失当である。

結論

以上のとおり被控訴人の本訴請求を認容し、控訴人の反訴請求を棄却した原判決は相当であり本件控訴は理由がないから、控訴人の本件控訴を棄却し、民訴法第八九条、第九五条を適用して主文のとおり判決する。

(喜多勝 林義雄 楠賢二)

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